8耐に向けて準備活動している中、真っ先に協力を表明してくれたのは、八重山漁業協同組合理事である、友人の興儀さんでした。「石垣島がマグロの漁場であるPRができるなら協力するよ。」ということで、一挙に体制はマグロPRチームへと動き始めたのです。前代未聞のマグロレーシング誕生は、この時点で決まりました。

 でも、金銭的な援助はありません。しかも石垣市の協力も取り付けていません。チームも決まっていない中、マグロだけが決まったのです。


 そんな中、10年来の友人で、2006年の8耐に参戦した金淳一選手が、費用的にも時間的にも負担があるというのに調整を図り、運営チームのモトバムを交渉してきました。
  モトバムといえば、プライベーターで世界GPにも出場していた歴史あるチーム。しかも2008年当時は8耐に10年も参戦していませんでした。それを金選手自らが交渉してくれたのです。それだけでなく、モトバムが使用している開発用の全日本ロードレース用マシンを借りられることになりました。最新型「2008年型 CBR1000RR」が使えることになったのです。
  費用はプロデューサーの手持ち分だけでは足りず、両ライダーや多くの皆様にご協力いただきましたが、なんとか参戦できる体制が整ったのです。
 そして、最後に金選手に「石垣島」と「マグロ」をテーマにしたチーム名を考えてもらい、「石垣島マグロレーシング」が誕生したのです。2008年春のことでした。


 そして挑戦した2008年夏。予想外のことが発生しました。なんと予選落ち・・・。それも予選通過70台の中で71位。悔しい悔しい夏は終わりました。
 敗因は分かっています。それは「私たちの経験不足」にありました。我々は、各チーム2名のライダーを全力で走らせていると思っていました。だから、予選各組で中盤を走行していた両ライダーの状況を見て「40位ぐらいかな?」と思っていたのですが、実はアタックライダーを決めているチームが多く、ライダーの半数は流していたのでした。
 結局、両ライダーに「必死で走ってください」と一度もお願いすることなく終わってしまいました。レース直前に第3ライダーをお願いした、この2008年8耐で唯一の女性ライダーであった高杉奈緒子選手にも、申し訳ない結果となってしまいました。


 2009年夏・私たちはリベンジを図ることを決意しました。しかし迎えた300km耐久のレースウイークに監督が急逝。厳しいスタートとなりました。
 しかし、ご家族や周囲の方々に送り出され、16位完走と上々の成績。そして8耐のレースウイークも順調に進んでいたのですが、8位まで上昇して行なった1回目のピットストップでフロントの車軸を壊し、2時間半ほど経過した所で雨により転倒&炎上。しかもライダーは骨折。多くの方々に支えられて戻ってきたマシンは大規模修復して、残ったライダーのみでチェッカーを目指すという大変なものとなりました。
 いろいろありましたが、2010年に初完走12位。昨年2015年は24位。いっぱい全損廃車も経験しましたが、それでも2016年。私たちは、また挑戦します。皆様の暖かい声援を、なにとぞよろしくお願いいたします。