2013年8耐以降の挑戦記はFacebookでどうぞ

2010年7月25日 鈴鹿8耐チェッカー(鈴鹿サーキット) 

 
 8耐は、8時間の19時30分を迎えた後、先頭を行くチームがチェッカーフラッグを受けた以降にゴールラインを越えたマシンがチェッカーを受けたとみなされます。あと3分の時点で、私達は完走できるけどチェッカーが受けられるかどうか不安という状態でした。
 マシンはスロー走行中ですから、とにかくチェッカーフラッグ目前で、1位のチームに周回遅れにされるのが、一番良いわけです。別の言い方をすると、1位の少し前でゴールラインを越えてしまうと、もう1周しないといけません。
 そして迎えた19時30分を1分近く越えた頃、トップを行く清成選手が私達をパスしました。西パドックを超えれば下り坂です。惰性でチェッカーが受けられます。ピットクルーのほとんどがサインエリアでゴールライダーの大木を出迎えました。
 そして感動の完走チェッカー!ここからは自力で帰ってこれるかどうかに焦点が移りました。
 チェッカーを受けて少し走ると、隊列の整列が行われます。そして全オフィシャルがコース脇に立ってレースフラッグを振る中、ゆっくり1.5周ほど回る必要があります。でも大木は分かっていました。極端なエコランで、このパレードランを無事終えて、自力で帰って来ました。3年目の正直は、レースウイーク無転倒の204周を走り切って、堂々の12位となりました。

2010年7月25日 鈴鹿8耐第7スティント(鈴鹿サーキット) 

 
 第7スティントは、西から弱い雨雲が迫ってくる中ではじまりました。まずは調整した軸とチェーンの確認で2分17秒台で数周する形でのスタートです。じつはチェーンの張りと軸の位置を変えると、バイクの動きは全く変わるのです。シフトフィーリングも車体のシャッキリ感も変わりますので、必ずチェックラップが必要です。
 さいわい車体には問題なく、また2分15秒台での周回に戻りました。ただ、空は暗くなって来ました。当たり前です、だって日没に近付いていたのです。
 200Rシケインの映像に、紅白に塗り分けられたゼブラゾーンを超えて芝生に飛び込んでしまうバイクが何台も映りました。それだけ西側は暗くなっており、スモークシールドの選手達は、前が見えにくくなっているということになります。そして、第1ライダー高橋のヘルメット棚を見ると、そこには使用するはずのクリアシールドが置いてありました。彼もスモークシールドだったのです。
 予定よりも5周も早く、ピットインを告げる足を出すポーズ。予定より早くピットインする時は、各ライダーはサインボードで「ピットOK」の表示を確認してからという約束だったのに、前がしっかり見えない彼は、その翌周にピットに入って来てしまいました。
 「あー来ちゃったよー…。ピットイン準備して!」なんて大騒ぎしている間に戻って来ちゃいました。裏のスタッフ達に最後の走行を終えた高橋を出迎えさせる事すらできない緊急ピットイン。
 最後を締めくくるゴールライダーの大木は「オレもう無理だよ」と「リアのチェーン引いて〜」の2つの言葉を残して、ピットロードを後にしました。
 そして、残されたピットクルーに燃費計算という課題がつきつけられました。給油機に残ったガソリンの量から燃費が読み取れます。それで割り算をしていくと、あと1回給油しないと間に合わない計算になりました。どこかでエコノミーランに切り替えるか、ピットインさせるかのどちらかしかありません。サインボードに、ガムテープで「ネンピ」と書かれたボードが急遽作成されました。

2010年7月25日 鈴鹿8耐ピット裏(鈴鹿サーキット) 

 
 私達のピット裏には、お客様用のテレビが設置されています。ほんの数年前までは、ワークスチームがいて、何台ものモニターをピット裏に設置するのは当たり前だったのですが、今や私達だけになってしまいました。ちょっと寂しいことですが、確かにピット裏に人がいるとクルーが通行する際に支障になるので、なかなかプライベートチームでは、このようなサービスの提供は難しいというのが実情なのです。
 パドックパスを買って、ピット裏にお越しになられた方は、きっと私達のピット裏にあるモニターをご覧いただいたと思います。ちゃんと音声も音響機材を設置して出させていただきました。お金も手間もかかりますが、ファンサービスでもあり、回りに貼ってあるスポンサーポスターへの誘導策でもあります。お楽しみいただけましたでしょうか?

2010年7月25日 鈴鹿8耐第6後半〜第7スティント(鈴鹿サーキット) 

 
 第6スティント後半はペースも戻りましたが、ほんの3周ほどで同じ状況が発生しました。理由は分かりませんが、とにかくチェーンや車軸の確認が必要です。ピットイン準備が早めに整えられました。
 そして、予定の周回をタイムを落としながらも、なんとか走り切ってピットイン。通常の形でフロントとリアのタイヤを交換していた時に、フロントタイヤ交換担当の岡部チーフメカが、チェーンの遊びを確認しました。「給油しないで!チェーン引くから!」
 何十リットルもガソリンの入っている給油機を、手を伸ばしてガソリンタンクの上に出したまま、昨年の第1ライダーである金が「待て」と言われました。腕がプルプルと震えています。作業中のクルーにガソリンがかかると危険なため、金の判断で一度給油機がマシンから遠ざけられました。
 チェーンの張りを決めるチェーン引きをレンチで調整しながら、リアの車軸受けの位置調整と増し締めを行い、リアタイヤをセット。そして給油がはじまりました。給油後の作業は認められていませんので、作業クルーがマシンから離れかけた時、研修に来ていた「JMC・日本モータースポーツ専門学校」の本山君に「リアのナットが締まってない」と指摘を受けました。
 寺岡メカがオフィシャルに「リアタイヤ締めても大丈夫ですか?」と相談し了承を受けてトルクレンチを当ててビックリ。まったく締まっていませんでした。そのまま発進させたら、ピットエンドに到達する前に、後輪が外れていたかもしれません。ありがとう本山君!。
 この時、私達は決定的なミスをしていたことに気づいていませんでした。17時半すぎのピットアウト。西からは雨雲が迫っています。日没は19時。にも関わらず、ライダーのシールドがスモークシールドになっていました。全員がリアタイヤに集中しすぎてしまっていたのです。第1ライダー最後の走行であったのに…。

2010年7月25日 鈴鹿8耐第6スティント緊急ピットイン(鈴鹿サーキット) 

 
 第6スティント残り8周を残してのピットイン。前後のタイヤにガソリンも用意し、さらにライダー交代もできる体制でピットインさせましたが、リアを見てすぐ原因が判明しました。リアのスプロケット(チェーンをかける歯車)が削れています。即座に岡部チーフメカが「リアタイヤのみ交換でライダー交代ナシ」と決定を出しました。
 耐久仕様のモトバム特許出願中加工である色付きスプロケが効果を発揮しました。見ただけで削れていることが分かるのです。これとシフトの遊びを少なくするスピンドルガイドは、海外チームからも「買いたい」とのオーダーがレースウイーク中にも入るほどの人気でした。
 チェーンは緩んでいるものの、即座に外れるほどではありません。ということは軸はずれていない。そのままピットアウトでチェックラップ8周で、ルーティンピット作業の際に対応を協議することが決定しました。

2010年7月25日 鈴鹿8耐第6スティント前半(鈴鹿サーキット) 

 
 第6スティントは順調なスタートでしたが、このスティントの約半分である12周過ぎた頃に、ライダーの大木が足を出しました。ピットインのサインです。まだ高橋は全く準備できていません。とりあえずタイヤ交換できる状態を用意し、ピットインを待ちますが、大木は戻って来ません。それどころか、何事もなかったかのように走っています。
 そして迎えた14周目、何やら左手でリア周りを指しています。そこで16周目に後ろとのギャップをサイン表示しました。17周目は明らかに「我々の理解は違う」という雰囲気で再度足を出しましたが、今回はストレートの通過速度が劇的に遅くなりました。ラップタイムも通常の3〜4秒落ちの2分19秒までドロップしています。そこでルーティンのピットイン準備をしてマシンをピットに入れることが決定されました。

2010年7月25日 鈴鹿8耐ピットイン時間以外(鈴鹿サーキット) 

 
 じつは私達のピット内には、実況放送が聞こえるように音響機材が設置されています。なぜなら、映像よりもトラブルがあった場合の情報は、実況音声が先行するからです。
 「おっと!200Rシケインで1台転倒の情報が入りました」なんて声を聞いても、その時に私達のマシンが第1セクターを通過中であれば、映像を見なくても関係ないので、いちいち一喜一憂する必要がないわけです。映像を見てから大慌てしなくても良いというのは、レース中はキリキリと痛むピットクルー達の胃と心臓のために、とても助かります。
 この実況音声ですが、このピット側にいるとオフィシャルの皆さまやテレビクルーの皆さんにも大切な情報となるので、次々とスタッフがピットビックス内に入って来ます。さらにダンロップユーザーの中ではトップ3での走行となりましたので、タイヤサービスの方もお越しになられます。ホンダ系プライベーターのパーツセンターでもあり、困った時の情報ターミナルにもなっており、とても来客の多いピットとなっています。
 本当は、スピーカーで実況を流すと、ピットボックスからの放送が出来なくなる(声のループでハウリングするため)ので、中継側からは嫌がられるのですけどね。

2010年7月25日 鈴鹿8耐第3〜5スティント(鈴鹿サーキット) 

 
 第3スティント高橋、第4スティント大木、第5スティント高橋と順調にライダーチェンジが進みます。天気は晴れのままで気温は38度越え。雨雲の発生はあるものの、基本的に豪雨の可能性はナシ。
 最初にトラブルがあったため、ピット作業も冷静に素早くというのが徹底され、練習より5秒も早くなっています。気が付けば、周囲のチームがピット作業を見に来るようになっていました。誰も口には出しませんが、トップ10入りの一桁フィニッシュという所へと興味が移っていきました。

2010年7月25日 鈴鹿8耐第2スティント(鈴鹿サーキット) 

 
 第2スティントは、ピット作業で29位からの追撃。とはいえ耐久レースですので、急いで締めたボルト等に問題がないかを確かめるため、私達のようなチームは最初の1〜2周をアベレージの2秒落ち程度で走るチェックラップ(確認周回)を設定するのですが、大木はいきなり縁石乗り上げまくりの2分15秒台で回って来ました。ピットクルーとの信頼関係がなければできない技です。胃が痛くなるセッションでしたが、見事に順位を13から15番手あたりまで浮上させてくれました。

2010年7月25日 鈴鹿8耐第1スティント(鈴鹿サーキット) 

 
 第1スティントは順調に流れました。時間にして約1時間、第1ライダー高橋から第2ライダー大木へとライダーチェンジ。そこでトラブル発生です。リアスタンドを掛けるフックのネジが外れて、バイクが転倒しそうになりました。リアタイヤ交換後に車軸を締めた後だったので良かったのですが、車軸を占める前であれば、斜めにシャフトが入ってしまったかも知れませんでした。
 急いでフロントスタンドだけで車体を支えて給油。給油後の作業は認められていないので、そのまま出発させようとすると、オフィシャルの方から「安全のためネジを締めてください」との指示。大急ぎでネジを探して締めましたが、約4分のロスタイムとなってしまいました。

2010年7月25日 鈴鹿8耐決勝スタート(鈴鹿サーキット) 

 
 グリッド上にいたメンバーのうち、バイクを持つ1人と、第1ライダーのみを残して、全スタッフがピットに戻って来ました。そしてスタート。少しポジションを上げて16位ぐらいで第1コーナーに進入。さらに130Rの飛び込みからシケインで2台を抜き、1周目には14位で戻って来ました。順調なスタートです。

2010年7月25日 鈴鹿8耐決勝スタート進行(鈴鹿サーキット) 

 
 スターティンググリッドにマシンとライダーが整列しました。例年より、スタート進行は少し短くなり、ライダーの負担は軽くなりましたが、それでもピットアウトからスタートまで約50分間は、スタートライダーは革ツナギとブーツを着用したままとなります。今年のスタートライダーは昨年同様高橋となります。

2010年7月25日 鈴鹿8耐決勝当日(鈴鹿サーキット) 

 
 準備中の第1ライダーと撮影者の監督を除いた全メンバーがこれです。ピットクルー・ヘルパー・キャンペーンガールで30名以上、応援席のサポーターが50名ほどに、2008年のシャツや2009年のシャツのお客様も50名近くは目撃しました。石垣島マグロレーシングの仲間達が増えて来ました。3年目の夏、スタート進行は間もなくです。
 300km耐久初日に激しいクラッシュがあり、いきなりのメディカルセンター行きではじまった私達。でも、その後は奇跡の無転倒です。レースウイーク中は、雨も全く降りませんでした。石垣島の暑さを彷彿とさせる5日間の最後へ向け、レースは進行しました。

2010年7月24日 鈴鹿8耐決勝前夜懇親会(鈴鹿サーキット) 

 
 石垣島からの大応援団が持参してくれた、もう一つのお土産が「石垣牛」です。石垣牛の牧場も営む、牧場直営の高級焼肉レストラン「いしなぎ屋」の社長である石垣さんが、実際に持参した上で焼いてくれました。
 これは絶品でした。こんな贅沢しているチームはあるのでしょうか?キャンペーンガールも参加しての食事会で、翌日の決勝へ向け、チームの結束はさらに深まりました。

2010年7月24日 鈴鹿8耐ナイトピットウォーク(鈴鹿サーキット) 

 
 石垣島からの大応援団が、夜間ピットイン練習中に到着。そして大きな生のマグロを持参してくれました。全参加チームおよびライダーの安全運行と、お客様の皆さまの安全を祈念しての御奉納ということで、ピットイン練習を中断して、急遽マグロの解体ショーとなりました。
 マグロ船の船長である中田さん自らが、釣って運んで解体までやってくださいました。八重山漁協の興儀理事がサポート役をやってくださいました。
 なお、真夏の屋外での生ものを食すのは大変危険です。また、衛生管理上、保健所の指導により、このような場所での魚類の提供や販売はできません。皆さまにも食べていただきたいのですが、こればっかりは石垣島にお越しいただくしかありません。すいません。

2010年7月24日 鈴鹿8耐夜間ピットイン練習(鈴鹿サーキット) 


 毎年恒例の土曜の夜の風物詩、夜間ピットイン練習です。今年の給油係は昨年の第1ライダー金淳一です。今年は裏方で頑張りますってことです。特徴ある高い身長を活かし、あの重い給油タンクを持ちあげます。

2010年7月24日 鈴鹿8耐スーパーポール(鈴鹿サーキット) 

 
 スーパーポールは、金曜日の公式予選上位20チームで争われるポールポジション争い。ライダーは1名のみでタイヤも1セットのみとなっていて、私達は第1ライダーの高橋をアタックライダーに決めました。
 進行は3段階に分かれていて、スーパーポール1では出走20チームで、20番手から17番手のグリッドが決定。次にスーパーポール2で16番手から9番手、最後のスーパーポール3で、上位8チームによりポールポジションと残りグリッドを競うものです。
 私達は、タイヤをいたわるため、はじめのスーパーポール3で早いうちにタイムを出してタイヤ温存のためピットストップし、スーパーポール2進出のつもりでした。しかも、前日までのタイムアタックを見ると、2分12秒台に入れば上位16台は確実に見えました。そこで最初の計測で2分12秒842が出たため、すぐに高橋をピットに戻しました。
 ところが大誤算。他のチームも12秒台に入れて来ました。焦って再度コースインさせるも、残念ながら0.43秒差でスーパーポール2への進出はできませんでした。レースは18位グリッドからのスタートとなります。

2010年7月24日 鈴鹿8耐ピットウォーク(鈴鹿サーキット) 

 
 今日はポールポジションを争うスーパーポールの日ですが、これに出走しないライダーにとっては、楽しい休憩日です。お客様にピットを解放して実施されるピットウォークには、第2ライダーの大木と第3ライダーの清水が参加して、今日から登場のキャンペーンガールと、会場を華やかに盛り上げました。

2010年7月23日 鈴鹿8耐計時予選(鈴鹿サーキット) 

 
 第3ライダーの2回目が終了しました。本日の走行は、まだ夜間走行が残っていますが、予選19位(暫定)で明日の上位20台でポールポジションを争うスーパーポールへの進出が決定しました。最後の最後に第1ライダーの高橋がタイムアップしなければ、20位以内に入れなかったかもしれませんでした。

2010年7月23日 鈴鹿8耐金曜朝フリー(鈴鹿サーキット) 

 
 予選当日朝のフリー走行は、前日のフィーリングが良かったとのことから、さらに大きくサスペンションセッティングを変更かけたのですが、セッティングが大きく変わり過ぎたため、再度昨日のセッティングに近い所まで戻す等のトライを行って、1時間のセッティングを終えました、これから予選です。

2010年7月22日 鈴鹿8耐木曜日フリー(鈴鹿サーキット) 

 
 初日のフリー走行は1時間が2本用意されています。ここで私達はエンジンの慣らしをした上で、レーシングスピードで走れるようになるまで仕上げる必要があります。
 モトバム岡部店長が徹夜を重ねて仕上げてきたエンジンに火が入り、まずは1万回転キープからの慣らし走行。1本目の走行は、それでも2分15秒台までタイムアップできました。
 そして2本目も2分15秒が確実に出る状況になった時点でタイヤ交換。新品タイヤで第1ライダーの高橋がアタックして2分13秒9が出た所でピットイン。第2ライダーの大木と第3ライダーの清水も同じく新品タイヤでのコンディションを確認した所で終了となりました。
 結果は2分13秒9で15位でした。これで金曜日の予選を迎えることになります。

2010年7月21日 鈴鹿8耐ピット搬入(鈴鹿サーキット) 

 
 2010年の8耐も、いよいよレースウイークとなりました。例年木曜日の走行は、朝一番からなのですが、今年は午後からの走行ということで、搬入もゆっくりです。
 いつもは水曜日の朝6時頃から搬入作業していた私達も、午後4時頃から搬入開始。真新しいカーペットを敷きつめ、これからはじまるレースへ向けた、自分達のピットをきっちりとつくりあげました。

2010年6月11-13日 鈴鹿300km耐久レース決勝(鈴鹿サーキット) 

 
 ”Road to 8hours” 鈴鹿300km耐久ロードレース決勝。ドライコンディションでスターティンググリッドに全車整列するも、スタート前の選手紹介から雨が降り出し、スタート1分前に赤旗となりレース中断。多くのチームがタイヤを交換してからの再スタートとなりました。
 我々はレインタイヤをチョイスするも、大雨とはならずタイヤは10周持たずにドライタイヤに交換。その後も曇りと雨が交互に来る天候に悩まされ、合計4度のタイヤ交換をすることとなってしまいました。
 結果は17位完走。ベストラップでは13位のタイムでしたので、タイヤ交換のタイミングによっては、ベスト10入賞もあっただけに、チームの総合力を高めていく必要性を感じる結果となりました。

2010年6月12日 鈴鹿300km耐久予選(鈴鹿サーキット) 

 
 予選は、メディカルセンターにおけるライダーの体調確認からスタートしました。なぜなら、前日がハイスピードクラッシュだったからです。
 でもチェックの結果「問題ナシ」となり、1日2回行われる予選走行に無事出場することができました。
 ところが、その予選中に大トラブル。高橋が「何かギヤが渋い」との情報。いいですか、270km/h以上で走ってきたバイクのギヤですよ。まさに焼けた金属なわけです。とても予選中に修復できるものではありません。
 が、われらがスーパーメカニック岡部さんは、いきなりギアボックスを開けました。「熱っ!熱ちっ!」なんて言いながら、素手で開けましたよ。そして小さなピンの曲がりを見つけましたよ。そして交換して元に戻して予選時間内にピットアウトさせました。神業です。
 そして、予選21位を無事ゲットできました。

2010年6月11日 鈴鹿300km耐久修復(鈴鹿サーキット) 

 
 はい帰って来ました。270km/h以上で転倒したライダーと元レーシングバイクです。
 さすが国際A級ライダーは違います。きっちり状況を説明します。「浜松エスカルゴにオカマ掘ったんですよねー。何でかなあ、何かトラブルだと思うんですよね。まだブレーキングポイントのかなり前だったんですけど、急減速したんで、よけ切れなくてぶつかって、ただ当てられた側はそのまま130Rクリアしてたのは見えたんですよ。」
 なるほど、まだまだ元気で走れますってことですな。

2010年6月11日 鈴鹿300km耐久スポーツ走行2本目(鈴鹿サーキット) 

 
 みなさま、なんと言うことなのでしょう。夢の2台走行。写真はたった1枚しか撮影できませんでした。
 この日2回目のテスト走行時間終了目前に、鈴鹿サーキットで最も速度の出るバックストレッチ最高速計測地点付近で、高橋孝臣の乗る1台が転倒。今年製作した2010年型のマシンの失うという事態となりました。夢の2台同時走行は1時間48分で終わりました。涙・・・。

2010年6月11日 鈴鹿300km耐久スポーツ走行1本目(鈴鹿サーキット) 

 
 さあ、はじまりましたスポーツ走行です。今回初ペアとなる高橋&大木ですが、筑波エリア戦時代には何度もバトルし合った仲ですから、旧知の仲ということで、スムーズな走り出しです。
 スポンサーステッカーも2010年バージョンへの貼り替えがはじまりました。いよいよ2010年の8耐へ向けた動きが本格化してきました。

2010年6月10日 鈴鹿300km耐久積み込み(モトバム) 

 
 とうとう何の準備もできないまま、2010年の300km耐久です。
 とはいえ、昨年は1台のマシンでこのレースから8耐までを走り抜きましたが、今年は2台のマシンを製作。万全の体制でレースウイークに入ります。
 路上に2台の耐久マシン。街行く人々が、みんな振り返ります。そりゃそうですよね、まったく持って非日常の世界ですから。いよいよ明日は、夢の2台同時走行です。

2010年4月16-18日 2010全日本第2戦(鈴鹿サーキット) 

 
 第2戦の舞台は鈴鹿。フォーミュラ・ニッポンとJSB1000という4輪&2輪ともに日本最高峰のレースが同時開催されるというビッグレース。予選は気温14.7度と寒く、しかも強風の吹く中で幕を開けました。
 予選だというのに観客は21,000人も入っており、スタンドも半分が埋まっている状態。観客の数からフォーミュラ・ニッポンよりも圧倒的にJSB1000の方が人気が高いことが分かります。
 予選はノックアウト方式。全体がQ1・Q2・Q3の3つに区分され、最初のQ1で25位以下が振り落とされ、次のQ2で13位以下がカットとなり、最後のQ3が合計12台でのポールポジション争いとなります。
 その予選で大波乱。最初のQ1開始直後に亀谷長純選手がヘアピン手前で転倒し、直後を走っていた同じく伊藤真一選手が亀谷に接触し転倒。亀谷選手は全身打撲、伊藤選手は肩甲骨骨折の事態となって赤旗中断。
 再開されたQ1では、我々は中古タイヤを使い、次のQ2に進出することだけを考え、安全策をとって21位で基準クリア。
 そこでタイヤを新品に交換してQ2を争い、最終ラップまで上位12位圏内を走っていましたが、最終的には総合15位で予選終了となりました。
 決勝は気温18.3度で天候は晴れ。観客は30,500人と前日の1.5倍に増え、ビッグレースらしい雰囲気の中、合計38台のマシンによるスタート進行がおこなわれ、華やかなレーススタートを迎えました。
 決勝では予選のタイムを1秒以上縮めながらトップチームのすぐ後ろのセカンドグループで走行していたのですが、徐々に間隔が離れ、セカンドグループにいた10台ほどは、競り合いのない単独走行となり、結果的には13位でゴールとなりました。
 ちなみにトップグループはというと、抜きつ抜かれつの激しいレースを繰り広げ、その接戦を制した秋吉耕佑選手が優勝。全身打撲の亀谷選手が5位でフィニッシュしたのと、公道用市販タイヤに普通のST600バイクで走った山口辰也選手が、排気量が倍ほど違う上にスリックタイヤのJSB勢に割って入る15位に入った事にビックリしたレースでした。

2010年4月2-4日 2010全日本第1戦(筑波サーキット) 

 
 あっという間に2010年。そして、何のミーティングも経ないまま、全日本ロードレース選手権第1戦に挑戦することになりました。
 ライダーの高橋にとっては、2009年7月の鈴鹿8耐で右手首と右足を骨折して以来の走行。しかも、その舞台は日本最高峰選手権である全日本ロードレース選手権。チーム・ライダーともに不安を持ったまま、レースウイークに突入しました。
 走行初日となった金曜日の天候は雨。しかし午後になって雨は小降りとなり、路面はハーフウェットとなった。そんな中、高橋のタイムは1分02秒411と、走行した全18台中6位という上々のタイム。
 予選当日は晴れ。しかし気温が上がらず10度を切る冬のような状況。サスペンションセッティングを調整しながらの予選タイムアタックであったが、予選終了目前に問題が発見されました。それは、手首が完全に動いていないというもの。
 握力は回復しており、手首の動きも日常生活には支障はないのですが、レース中に手を曲げて力を入れてハンドルを押している時に、アクセルを完全に開け切ることができないことが分かりました。何よりも悪かったのは気温が低いこと。そのため、見えていなかった症状が出てきてしまったということのようです。タイムは58秒065で、トップから2秒遅れの12位で予選通過となりました。
 決勝当日は曇り。気温は相変わらず10度を切っているものの、観客数は16,000人を超えスタンドは超満員。初戦ならではの盛り上がりの中、一瞬雨がパラついたものの、路面はドライコンディションで決勝レースはスタートしました。
 スタートで予選5番手の中須賀選手がホイルスピンをさせ、車体が真横に!しかし後続車の好判断により衝突が回避され、スムーズにレース開始。トップライダーの中で、固めのタイヤを選んだ伊藤真一選手と秋吉耕佑選手がスタートから3周のうちに次々転倒。そのため我々の順位が自動的にアップ。
 しかし、レース中盤から無理を続けていた手首の状態が非常に悪くなり、順位がズルズルと後退。最終的には全24台中15位でチェッカーとなりました。

2009年7月27日 8耐を終えて総評(鈴鹿サーキット) 

 
今年の8耐も終了しました。300km耐久直前に監督の池澤一男氏が亡くなり、テスト時の転倒でライダーが故障し、決勝前日に第3ライダーが移籍する中で、第2ライダーの骨折アクシデントが発生。しかも、車両炎上のおまけ付き。右手首と右かかと骨折してスプーンからバイクを押しながら帰って来るなんてドラマもいただきました。
ただ、何よりも感動したのは、やはりファンの方々やオフィシャルの皆さんやドクターの方々の応援でした。実況&解説の皆さんも、ありがとうございました。元気が出ました。
トップ争いからはるか後方で、コース上の障害物と言ってもよい状態の私たちを、必死に応援してくれたみなさん、本当に力になりました。
またいつか、きっとサーキットに帰ります。今年の感動をありがとう。

2009年7月26日 ビール掛け&胴上げ(鈴鹿サーキット) 

 
大変なレースでしたが、とにかく終了することができました。金選手は「よく走り・よく押し・よく壊し・よく払い・よく直した!」とコメント。高橋選手は「ドラマティックですいません」のコメントをチームに贈ってくれました。
それにしても8耐の神様は、私たちにとても良い試練を与えてくれました。そして、去年とは違う悔し涙を流させてくれました。

2009年7月26日 8耐チェッカー(鈴鹿サーキット) 

 
そして迎えた午後7時30分。過酷なレースを戦ったすべてのチームに、今年もまたチェッカーフラッグが振り下ろされました。フラッグの係員が、いつものように飛び上がるような振り方ではなく、淡々としたフラッグの動きに、今回の過酷さが見えた気がしました。
そして、私たち「石垣島マグロレーシング・海人withモトバム」も、チェッカーを受けることができました。チェッカー順位53位、規定周回数に達しないため公式リザルトナシ。
熱く燃えた、厳しくそしてほろ苦い2009年の8耐が終わりました。

2009年7月26日 ラストスティント(鈴鹿サーキット) 

 
ピット裏に無造作に置かれた(投げ捨てられた?)消化剤まみれのカウル。ピット内には引きちぎられたハーネス類と割れたシートステー。それ以外は、まるで今まで何もなかったかのように、またレースの時間となりました。あと2時間半を走るライダーは金選手しかいません。祈るような気持ちでレースの進行を見つめることとなりました。

2009年7月26日 再スタート(鈴鹿サーキット) 

 
17時目前になって、第1ライダーの金がマシンにまたがりました。幸いセーフティーカーランの最中でしたので、1〜2周したら、確認のためにピットインする約束でのチェックランです。コースインする時にストップボードをスタンドに向けて大きく振ったのですが、気がついたファンの方々が、スタンドから大きな拍手をくれました。
幸い問題なく走行できることが分かり、本格的リスタートさせようとした時、テレビクルーがピットに来てくれました。そして実況放送も大きな声で「石垣島マグロレーシング・海人復活で〜す!」と叫んでくれました。スタンドから割れんばかりの拍手が贈られる中、マシンが発進して行きました。
そして、転倒&骨折した高橋選手は、ただひたすら、スタンドに頭を下げていました。

2009年7月26日 エンジンに火が入る(鈴鹿サーキット) 

 
16時42分、やっとエンジンに火が入りました。あとはクランクケースのカバーを取り付けたり、前後のライトの点灯確認をしたり、取り付けたものを再度ワイヤーで固定したりする作業だけです。そこにオフィシャルの方が予備のトランスポンダーを持って来てくださいました。なんと、転倒時にトランスポンダーが飛んでいたのでした。車体にカッチリと固定していたのに、そんなものまで飛んでいくような転倒だったわけです。

2009年7月26日 マシン修復開始(鈴鹿サーキット) 

 
実況の「マグロが帰ってきたぞー!」の叫び声とともにスタンドは拍手の渦だったらしいのですが、同時にピットの中は一気にあわただしくなりました。ライダーの着替えを持ってメディカルセンターに向かう者。水で車体を洗う者。エアガンでゴミを飛ばす者。それぞれが修復作業に取り掛かりました。ただ、いつもと違っていたのは、火災が発生したため、通常は交換しないハーネスの全面交換が必要でした。そのため、外装を外して最初に行われた作業は、ニッパーで配線を切るというものでした。
じつは、メディカルセンターに容態確認に行ったスタッフが、ドクターから真っ先にこの言葉をかけられたそうです。「あいつ根性あるな。骨ボッキリ折れてるよ。バイク直してやってくれ。」おードクターまでコメントが8耐バージョンでした。このレース、みんな熱すぎです。

2009年7月26日 マシン修復準備(鈴鹿サーキット) 

 
ピットの中では、マシンが帰って来た時のための準備が行われていました。部品取り車から次々と部品が取り外され、交換の必要があると思われるものは何でも交換できる体制が整いつつありました。ピットレポーターは「31番石垣島マグロレーシングのピット前です。修復に備えて現在ピットの裏にあるスペアマシンから次々と部品が外されていってます。」とレポートし、それを受けた実況は「マグロが解体ですかー!」と叫ぶ。スタンドだけでなくチームの中でも笑いがおきました。

2009年7月26日 第3スティントで転倒・炎上(鈴鹿サーキット) 

 
金選手の第2スティントは後半になって順調な状況となり、2分18秒台前半で周回。高橋選手の第3スティント中に事件は発生しました。最初は雨の中レインタイヤで出て行ったのですが、なかなか本振りにならず、スティント中にドライに変更してピットアウトして2周目のスプーンカーブで大雨となり3台が転倒。そのうちの1台が私たちでした。
転倒・炎上となり、解説は「いやーあぶりマグロになってましたからね。」なんて放送してます。実況のピエール北川さんは「それはブラック過ぎます。」なんて静止する場面も…。そしてこの時、ライダーの高橋は右手首を骨折してました。
オフィシャルとドクターが見た瞬間に 右手首&右かかと骨折の状態で、左ハンドルバーも折れていたので、 ポストからメディカルに搬送しようとしたら、 「そんなことしたらリタイアになるだろーが!」とすごい剣幕で怒って、無理やりバイクを押しはじめたのだそうです。
オフィシャルは何度も 「無理だからリタイアだから」と促したのに、それでもバイクを押そうとしたようです。そこで根負けしたドクターが、持っていたウチワを彼の手首に巻いて、ガムテープで固定してくれたのでした。
そしてオフィシャルの方が、「マシンは君が押したら危ないので、各ポストのオフィシャルが手伝うので、それでいいな!」 と言ってくれたそうです。
彼の姿が見えた時、腕は動かず、右足も引きずっている状態でしたが、その左腕だけはずっとシートに置かれていました。8耐マシンなんて押せるわけのない体で、それでも押して帰っているつもりだったのでしょうか?
オフィシャル、メディアカル、ドクター、観客のみなさんに支えられ、 それでも消化剤まみれになった私たちのマシンは、少しづつピットに近づいていました。

2009年7月26日 第1スティント終了時にトラブル(鈴鹿サーキット) 

 
スタートから1時間超は、順調にポジションを上げていたのですが、第1スティント終了時のピットイン時に問題発生です。なんとフロントのアクスルのハウジング部品が壊れてシャフトが入らなくなりました。しかも作業中なのに燃料補給を開始しそうになるハプニング。写真はまさにその瞬間です。実況が「マグロが手間取ってますねー」と放送されてしまいました。そう、ウォームアップ走行後のピットイン練習をしていたら判明していた問題が、本番開始早々に顔を出したのです。不吉な予感が走りました。ポジションが10位前後から、一気に40位近くまで落ちてしまいました。
しかも、ピットアウトして次の周に、フロントブレーキが効かずに再度ピットイン。 交換したハウジング部品との相性の問題でしたが、ブレーキ調整が必要となり、またもや大きくポジションを落としてしまいました。

2009年7月26日 スターティンググリッド(鈴鹿サーキット) 

 
さあ、スターティンググリッドです。楽しそうに写ってますが、じつはこの前のウォームアップ走行中に、裏ストレートで金選手が走行中にガス欠で止まってしまい、キャリアカーで運ばれてくるという事態がありました。本当は、ウォームアップ走行後にピットイン練習をする予定だったのですが、ここで大きなボタンの掛け違いが出てしまいました。
しかも、スターティンググリッドにマシンを進めている最中に、写真を撮影しようと急に立ち止まった観客とぶつかってしまい、あやうくマシンが転倒する場面もありました。こんな所にも、不吉な予感があったのです。

2009年7月25日 第3ライダー移籍(鈴鹿サーキット) 

 
今回、無理を言って万が一の補欠として第3ライダーでの登録をお願いした4耐優勝経験もあるモトウィンの鈴木慎吾選手。しかし、ゼッケン76番のクラウン警備保障RACINGの北口選手が予選でのケガにより欠場を余儀なくされ、代打出場の依頼が入りました。この時点で出場の権利を持つのはFIMのライセンスを持っていて、トップから115%以内のタイムを予選で出した選手のみ。今回は予選落ちがないので、第3ライダーのいるチームしか代わりの選手を供出できないということで、鈴木選手が移籍することになりました。
こんな時ですから、1チームでも出場チームを減らしたくないですからね。

2009年7月24日 8耐予選(鈴鹿サーキット) 

 
予選は無事終了しました 。 第1ライダーの金が2分17秒667、第2ライダーの高橋が2分12秒451、第3ライダーの鈴木2分17秒155で、予選19番手となりました。かなり良いポジションからのスタートとなり、チーム全体に気合が入りました。


2009年7月23日 8耐フリー走行(鈴鹿サーキット) 

 
さあフリー走行がはじまりました。カラーリングは結構カッコ良いのではないでしょうか?ステッカーも本番用に貼りあがりました。金選手は本番用のRSタイチの海人ツナギで、高橋選手は予選で使用する全日本で使用しているツナギでフリー走行をおこない、きっちり二人とも練習時のタイムを出して来ました。いよいよ明日は予選です。


2009年7月23日 8耐フリー走行準備(鈴鹿サーキット) 

 
ピットが完成してフリー走行準備です。スポンサーの海人工房様から届いたTシャツは、いつものモトバムウェアより鮮やかなグリーンで、お祭り気分が盛り上がってきました。全員でお弁当を食べてフリー走行に挑みます。


2009年7月22日 8耐機材搬入(鈴鹿サーキット) 

 
さあ、いよいよ機材搬入です 。今回は、モトバムの故池澤社長のためにも、モトバムカラーで参戦しようということになり、チームカラーはモトバムグリーンとなりました。TSP太陽様からご提供いただいた新品の緑のカーペットを敷き詰める作業を皮切りに、1日中機材の搬入をおこないました。


2009年7月3日〜5日 8耐PRイベント(六本木ヒルズ) 

 
テストの最後に転倒したので、大急ぎで修復してもらい、見た目だけなんとかなったマシンを六本木に搬入して、「みんなで創る鈴鹿8耐in六本木ヒルズ」に参加。ピカピカに磨かれた2007年のヨシムラ&モリワキとともに、満身創痍の2009年マグロ号を展示しました。お客様には、ボロボロのタイヤと傷だらけのフレームが、本物の持つ迫力と感じていただけたようでした。


2009年7月2日 公開合同テスト2日目(鈴鹿) 

 
公開合同テスト2日目のメニューも順調にこなし、トップ勢が2分8秒台とタイムを落とす中、我々は2分12秒台に入った所で、全走行時間残り3分となった所で、ダンロップコーナーで高橋が転倒しました。マシンは軽症でしたが、肩のじん帯を痛めてしまいました。


2009年7月1日 公開合同テスト1日目(鈴鹿) 

 
7月1日・2日は鈴鹿8耐に向けた公開合同テストです。300km耐久レースでの課題を詰めていく作業なのですが、300kmで1位TSRと2位のハルクプロはともに2分7秒台。我々は2分13秒台で、初日のテストを無事終了しました。


2009年6月14日 300km耐久決勝(鈴鹿) 

 
迎えた決勝。スタートライダーは高橋選手です。順調に周回を重ね所定より少し早めの23周に13位でピットイン。背中に入れるドリンクをセットできないままドタバタしながら金選手にライダーチェンジ。もしかしたらガス欠でもう一度ピットインがあるかもしれないという状況の走行でしたが、25周目・26周目とペースを落とすことで走り切り、トップから3周遅れの16位で完走できました。


2009年6月13日 300km耐久2日目・予選(鈴鹿) 

 
鈴鹿で2日目だというのにもう予選です。高橋選手・金選手ともに前日よりタイムをアップして予選を終えました。じつは、前日深夜にリアサスペンションに問題が見つかり交換したので、前日とはリアの感覚が全く異なるマシンでのタイムアタックだったのですが、無事予選16番手のグリッドとなりました。


2009年6月12日 300km耐久1日目(鈴鹿) 

 
いよいよ初日。とはいえ明日には予選です。有力チームはここまでにテストを積んでいますが、我々にとっては全くの初日。しかも事実上のシェイクダウンです。2名のライダーが交互に乗ってセッティングをおこないました。


2009年6月12日 300km耐久搬入(鈴鹿) 

 
主要メンバーは寝ずに運転して鈴鹿サーキット到着です。事前に送ったカーペットを時間内に受け取れなかったのですが、どなたかがピットまで運んでいてくれました。搬入のはじめに必要なものだけに、本当に助かりました。今日の朝には走行スタートだというのに、両ライダー、モトバムスタッフ、プロデューサーという主要スタッフも全員参加での深夜搬入です。


2009年6月11日 参戦検討へから参戦決定(御徒町) 
監督の訃報により11日の走行をキャンセル。鈴鹿300km耐久参戦事態の取り止めも検討しましたが、ご遺族ならびにモトバムの皆様方の強いご意向もあり、再度荷物を積み込んで11日中に鈴鹿サーキット入り、12日の走行からレーススケジュールをこなす事になりました。


2009年6月10日 池澤監督・永眠(御徒町) 

 
朝10時モトバム開店。鈴鹿300km耐久へ向けた今晩の車両積み込みに備えて、塗装が終わったばかりのカウルにスポンサーステッカーを貼り始めてすぐ、バムレーシング社長で我々チームの監督である池澤一男氏が倒れました。そして救急車で病院へ。
ひたすらレースへの準備をしながら連絡を待つ私達に暗くなった頃に届いたのは最悪の結果でした。


2009年5月2日 テスト中に全損クラッシュ(SUGO) 

 
菅生でのテスト中に110Rで全損クラッシュが発生しました。耐久タンク・ライト加工済みカーボンカウル・ショーワのスペシャルフォーク・マルケジーニのホイール等、高価な部品も吹っ飛びました。ライダーの金選手が無事だったのは幸いですが、コスト面で厳しい環境に追い込まれました。
とはいえ、10年後の思い出写真として、新旧モトバムライダーで記念写真をパチリ。須貝選手、ご指導・ご鞭撻・部品拾いとお手伝いありがとうございました。


2009年4月5日 全日本ロード 第1戦 高橋孝臣 7位(筑波サーキット) 

 
全日本ロードレース選手権・第1戦で、高橋孝臣選手がトップ下の第2グループでの争いを繰り広げ、みごと7位に入りました。


2009年3月15日 筑波ロード 第1戦 高橋孝臣優勝(筑波サーキット) 

 
筑波ロードレース選手権シリーズ第1戦で、今年のライダーに決定した高橋孝臣選手が、ぶっち切りの優勝を飾りました。


2009年3月7日 本年8耐挑戦基本合意(御徒町) 
打上げや試乗会から5ヶ月。この間に、世界は激変しました。景気は冷え込みレースどころではありません。そこで、今年の方向性を話しあいました。そして出した結論は、昨年のようにモトバムはバイクを貸してメンテナンスを請け負うのではなく、モトバムが全部やる形でやろうということでした。ライダーもマシンもモトバムのチーム。マシンカラーもモトバムグリーン。これでなんとかできる環境は構築できました。


2008年9月12日 2008年8耐マシン試乗会(筑波サーキット) 

 
打上げの席で池澤社長が約束した「8耐マシンに乗りたいヤツは誰でも乗せてやる!」というカラオケボックスでの約束どおり、言われた日時に筑波サーキットに行って、約束どおり全日本ロードレースを走っているフルコンストラクターズキットにポート加工まで行なわれているJSBマシンに、参加者全員が乗せてもらいました。


2008年8月某日 2008年8耐チャレンジ打上げ (御徒町)

 
2008年の8耐は予選落ちという結果でしたが、両ライダーともにプロのロードレース選手ではないわけで、二人とも骨折しながらも無事に元の仕事に戻れたと言うことで、楽しく打上げを開催しました。池澤社長は終始ノリノリで盛り上がっておりました。
そこで衝撃の「来年は完走するぞー!」という一言。そして周りのメンバーの「来年もやるぞー!」の雄たけび。何やらマグロレーシングは翌年も続く企画となりました。


2008年7月27日 決勝ゴール! (鈴鹿サーキット)

 
さあ、決勝ゴールです。掛川選手は公式予選終了後に、ケガでライダーを欠いていた他チームへ移籍して、8耐初完走を果たしました。私たちのチームがやり遂げられなかったことを継続するため、私たちの革ツナギで走り続けてくれました。
そして私たちは、チーム全員で「この挑戦は絶対に忘れない」という決意のもと、悔し涙を流しながら8耐花火を見つめました。


2008年7月27日 決勝当日17時 (鈴鹿サーキット)

 
決勝中ではありますが、私達は残念ながら最終ミーティングとなりました。計時予選62位までが予選通過と思い込んでのタイムアタック終了。各ライダーは、練習のタイムをしっかりと出し切ってくれました。ただ、「死ぬ気でアタックしろ!」という指示は、最後まで出さないままでの予選落ち。経験不足が露呈したレースとなってしまいました。

高杉選手については、全日本ロードレースフル参戦者であるにも関わらず、予選通過済と過信して、1度もニュータイヤでのアタックを許しませんでした。これについても反省しきりです。

いろんな話しをして、いろんな涙を流して、2008年の8耐チャレンジは、ひとまず解散となりました。


2008年7月27日 決勝当日朝 (鈴鹿サーキット)

 
決勝当日のピットウォーク(ピット前デモンストレーション)は午前7時30分から。予選落ちとはいえ、ちゃんとメニューはこなします。今日は全日本ライダーの高杉選手が、なんと1時間近くもあるメニューを、ずっと革ツナギのままこなしてくれました。


2008年7月26日 決勝前日 (鈴鹿サーキット)

 
予選には落ちましたが、晴れの舞台を応援してくれた人々に大してのPRイベントはしっかりこなそうということで、恥ずかしながら予選落ちチームではありますが、がんばってピットウォークにマシンとライダー3名&キャンギャルを並べてきました。泣きたいほど悔しかったけど、これを乗り越えていかないと明日はないという決意でのプロモーションとなりました。


2008年7月25日 公式予選結果発表! (鈴鹿サーキット)


運命の予選結果!なんとタイム的にはがんばりました。計時予選で62位。出場70台ということで、予選通過と喜びましたが、残念ながら海外からのシード権を持つチームが我々の後方に9チームあり、結果的には71位。なんと予選落ちポールポジションとなってしまいました。無念・・・。


2008年7月25日 公式予選 (鈴鹿サーキット)

 
公式予選は、金選手と掛川選手の両方がタイムアタックして、双方とも2分17秒台を記録。練習で出ているタイムは、しっかりとクリアしましたが、残念ながら16秒台突入とはなりませんでした。あとは結果を見守ることになりました。


2008年7月24日 公式日程初日終了 (鈴鹿サーキット)

 
木曜日の走行は無事終了しました。車体の慣らし作業も無事終了し、ベーシックな部分でのデータ取りもできました。明日はいよいよ予選です。予選通過できるのでしょうか?なにはともあれ、リアタイヤの守り神「ダンロップ・キハダマグロ」に車体を預け、本日のピット内作業は終了です。
そして宿舎に移動して作業が続きます。何よりも重要なスポンサーステッカーカット。パソコンとカッティングマシンをつないで、悪戦苦闘しました。


2008年7月24日 ピット完成・走行開始 (鈴鹿サーキット)

 
レギュレーションで決まっている木曜日の走行開始にあわせ、ウエア・ツナギ・サインのすべてが完成しました。朝から走行開始です。まずは慣らし程度の走行を行って、車体の動きや、全体の状況確認です。
今日も最高の天気で、気温は40度目前といった感じです!


2008年7月23日 鈴鹿選手受付&機材搬入 (鈴鹿サーキット)

 
火曜日は仕事してからレンタカーのトラックを借りて、各所で機材を積み込んで、徹夜で鈴鹿入り。そのまま搬入作業となりました。
ベニヤ板などを切り出して、そこに出力してもらったシートを貼って、各種サインを製作します。午前中は選手受付、午後は予選のA組・B組抽選会となります。
それにしても今日の鈴鹿は暑い!


2008年7月15日 全国一斉休漁 (石垣島ほか)


燃料費の高騰により苦境に立たされている漁師の窮状を訴えるべく、全国漁業協同組合連合会による全国一斉休漁が行われましたが、沖縄県まぐろ漁業協会などが一斉休漁を決断。
石垣島をはじめとする地域で構成される八重山漁業協同組合でも、組合員約380人のほとんどが出漁を取り止めました。石垣島をはじめとする全国の漁師が、非常に厳しい環境の中で漁をしている実情も知ってください。
(写真7/11 燃油暴騰対策沖縄県漁業者総決起大会の様子)

2008年7月9日 鈴鹿テスト走行見学 (鈴鹿サーキット)


夜を徹してチームメンバーは語り合いました。何のためにレースをするのか?何をめざしているのか?限り有る予算と時間の中でやるしかないプライベーター。誰からも給料が出るわけでなく、ライダー・メカニック・ヘルパーのすべてが自腹で交通費も宿泊費も負担して来るのだから、方向性を一致させるミーティングとなりました。
まずは、「レースウイークにマシンを持っていく。」それだけは決定しました。

2008年7月8日 鈴鹿テスト走行 (鈴鹿サーキット)

 
さあ、本番へ向けて最後のテスト。石垣島と大きく書かれたゼッケン888番のカーボン製カウルが登場です。他のチームも「これ本番用?」と次々と聞いてきます。みんな本番ムード。どのチームもロングランテストか、2周ごとにピットインしてのセッティング出しです。
ところが、転倒してしまいました。じつは本日2回目の転倒。車体のダメージも大きく、本番用のスペアパーツも使い切ってしまいました。今一度、体制の見直しが必要となりました。

2008年7月1&2日 コカ・コーラゼロ 8耐公開合同テスト (鈴鹿サーキット)

 
今日は公開合同テスト。多くのプレスが駆けつけ、各チームがトランスポンダーをつけて走行するため、本番前の実力が一番見える日です。
先週に続いて金選手が17秒台を連発して、16秒台も見えるようになって来ました。ところが2日目午後に新品タイヤに交換して走り出したヘアピンで転倒。第1&第2スティントで、今までのタイムを大幅に上回っていただけに、期待を残してのテスト終了となりました。
また、この走行ではじめて第3ライダーの高杉選手も参加。たった10周の走行でしたが、初JSBマシン&初乗りにもかかわらず、さくっと2分23秒で回って、周囲をビックリさせました。

2008年6月30日 手作り館工房海人正式協賛決定 (沖縄本島)


石垣市の正式協賛を受け、「海人」Tシャツで有名な「手作り館工房海人」様への協賛依頼を行いました。じつは、沖縄県で漁師を意味する海人ですが、こちらの権利を有しているのがこちらの会社で、この名称使用権とチームウェア提供をご快諾いただきました。

2008年6月27日 八重山漁協青年部への8耐参戦正式発表 (石垣島)


鈴鹿300qを終えてのレース報告と、8耐正式出場の発表を行いました。さすがに鈴鹿の走行を終えてすぐの石垣島移動はこたえましたが、市役所と漁協に挨拶できました。

2008年6月26日 石垣市の正式協賛決定 (石垣島)

この日、石垣市において正式に本チームを協賛チームと認める決定がでました。規模は小さいながらも8耐協賛が、千葉ロッテキャンプやトライアスロンワールドカップのように、石垣島の存在を、広く国民にPRできるものにしようと誓った瞬間でした。

2008年6月24&25日 鈴鹿テスト走行 (鈴鹿サーキット)

 
鈴鹿300qを終えて、もろもろ出てきた課題を確認する日です。掛川選手も無事回復してきているようで、レーシングスピードでの走行が可能なことが確認できました。金選手は17秒台を連発して、300kmの時よりタイムが上がって来たことも確認できました。

2008年6月12日 RSタイチ本社への革ツナギ製作依頼 (大阪府)


もう本番まで1ヶ月しかないのに、両ライダーともにクラッシュを経験しているので安全装備は削れないということで、革ツナギをそろえることになりました。もう、時間がないので直接訪問。いきなり行ったのに、あの有名な藤本さんに登場いただき、「スケジュールはタイトですが、うちなら対応させていただきます。」との言葉をいただきました。

2008年6月7&8日 鈴鹿300km耐久レース 予選&決勝 (鈴鹿サーキット)

 
レース自体は金選手1人で走るしかなくなった我々は、予選は通過することだけに力を搾って、レースを無事終了させてデータを取る作戦を取りました。
結果は無事完走。各サポートスタッフにとってもいい練習になりました。ここからは本番へ向けて、動き出すことになります。

“Road to 8hours”鈴鹿300q耐久ロードレース EWC/SST 公式結果
チーム名:モトバム&ヒポポタマス
マシン:2008年型 ホンダ CBR1000RR
ライダー:第1ライダー 掛川啓一(出走せず)/第2ライダー 金淳一
予選:64位 決勝:35位

2008年6月6日 石垣市への協賛名義依頼 (石垣島)

300kmで体制の確認ができたところで、8耐へ向けた各種調整に入りました。この日は、石垣市に対し、正式に協賛名義の使用依頼を行いました。

2008年6月5&6日 鈴鹿300km耐久レース 練習走行 (鈴鹿サーキット)

 
ようやくメカニック&ヘルパー参加で、掛川選手&金選手が8耐マシンのセッティングを行なう日がやってきました。でも300km耐久のレースウイークでもあるので、壊さないように走りながら、タイムも上げていくという調整です。ライダー2名が交代で乗りながら、少しづつセッティングを合わせて行ってました。
ところが、 掛川選手がヘアピンで転倒してしまいました。マシンのダメージはほとんどありませんでしたが、掛川選手はここでドクターストップとなってしまいました。

2008年5月27日 鈴鹿300km耐久書類到着 (東京)


鈴鹿300km耐久の書類が届きました。お弁当の申込み用紙やインターネット回線使用申込用紙など、いろいろなものが入っていますが、すべて今週末や来週頭が申込締切日です。 まずは関係各位に駐車証と関係書類のコピーを送って、その上で資料を読み込んで、必要なものを申し込んで、さらにピットに必要な備品をレンタル屋に手配して、そして同時並行で、今週締切の8耐エントリーと8耐公式練習エントリーをしなければいけません。

2008年5月21日 FIMライセンス申請 (MFJ)


コカ・コーラ ゼロ鈴鹿8時間耐久レースはFIM(国際オートバイ競技連盟)が主催する世界選手権なので、ライダーもチームもFIMライセンスが必要となります。ただし、このスポット申請をMFJ(日本モーターサイクルスポーツ協会)が代行してくれるので、MFJに申請書を持って行っていきました。
知らなかったのですが、チームとしてFIMに登録して、さらにライダーも登録するそうで、チームが1.5万円のライダー2名で1万円の費用が必要でした。

2008年5月19日 両ライダー2008年型CBR1000RR 初乗り (鈴鹿サーキット)


なんと、掛川選手&金選手の8耐マシン初乗りは、鈴鹿300km耐久開催を目前に控えたこの日でした。新旧のCBRを持ち込んで、コンディションチェックを念入りに行ないました。とはいえ、メカニックはおらず、ライダー2名だけでの乗り比べでしたので、なかなか車体をセッティングするには至りませんでした。

2008年5月15日 コカ・コーラ ゼロ 鈴鹿8耐エントリー (東京)

何よりも重要な8耐エントリー。締切が5月31日なので、それまでにエントリーすれば良いのですが、何らかの事故があってもいけないので、早めにエントリーしました。

2008年5月11日 全日本ロードレース選手権 第2戦 (筑波サーキット)

 
全日本第2戦は筑波サーキット。ライダーは高橋選手です。
予選はエントリー台数のうち半数が予選落ちするという激戦でしたが、高橋選手はなんと6位。そうです予選2列目となりました。マシンのポテンシャルは相当高いことが確認できました。
しかも決勝は、途中から流して走ってましたが15位完走。ポイントゲットで、最終戦の岡山国際への出場権を獲得です。

2008年5月9日 鈴鹿300km耐久エントリー (東京)


鈴鹿300km耐久の締切日。レース参戦費用の面から考えると、決勝以外は8耐をやるのと同じ手間とコストがかかるので、ここは参戦を回避する計画でしたが、走行本数が多いことは練習につながるとの判断でエントリーしました。まさにギリギリの決断でした。

2008年4月27日 東京ミッドタウン・八重山漁協産品販売会 (東京)


初ミーティングと平行して、石垣島・八重山漁協産品の販売会を手伝って来ました。25日から27日までの3日間、海の野菜と題して、海ぶどうやスーナなど島以外では手に入らない様々な海草を販売し大盛況でした。

2008年4月26日 モトバムでの初ミーティング


なんとこのチーム、主要メンバー全員で集まっての初ミーティングは、この日でした。1ヶ月前に顔合わせはしましたが、ちゃんと会話するのははじめてです。
しかも、両ライダーともに2008年型CBR1000RRには1度も乗っていない状態。本番を3ヶ月後に控えているのに、こんな状況だったのです。

2008年4月12&13日 鈴鹿サンデーロードレース (鈴鹿サーキット)

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掛川選手&金選手がそれぞれのマシンを持ち込んで、鈴鹿サンデーロードレースに出場するということで、チームスタッフがサポートに入りました。8耐前唯一のロードレースということで、多くのライダーが参加しており、全日本フル参戦組などもいる中、2台とも予選通過しましたが、金選手が予選中の転倒でドクターストップとなり、決勝は掛川選手のみの出走となりました。

鈴鹿サンデーロードレース 2008 鈴鹿・近畿選手権シリーズ第2戦 JSB1000
ウエストチャレンジカップJSB1000/鈴鹿・近畿JSB1000

掛川 啓一 選手(K's★project&モトバム&ヒポポタマス) 予選13位/決勝7位
金 淳一 選手(モトバム&ヒポポタマス) 予選23位/決勝 出走せず

2008年4月7日 全日本ロードレース選手権 第1戦−2 (ツインリンクもてぎ)

 
じつは、この時に第3ライダーとなる高杉選手と、プロデューサーは初めて対面しました 。全日本GP250クラス参戦のパーソナルスポンサーとしての契約に行ったのですが、このときは8耐を一緒にやるとは想定していませんでした。

2008年4月7日 全日本ロードレース選手権 第1戦−1 (ツインリンクもてぎ)

 
今日は、マシンを借りることになっているモトバムのレース応援です。ライダーは高橋選手。久しぶりのレースというのに、予選では部品を吹き飛ばしながらも1分54秒台で18位。
決勝では惜しくもリタイヤとなりましたが、マシンの持つポテンシャルの高さは確認できました。

2008年3月30日 ツインリンクもてぎで今年初走行! (ツインリンクもてぎ)

 
2006年の8耐以降、全く走行していなかった金選手。あの時と全く同じツナギですが、中身は別物とのことで、JSBマシンの感覚を取り戻すため、ツインリンクもてぎで初走行です。
ここで走行するまでに、エンジンOHや部品交換などで数十万円を金選手自らが負担しての練習走行です。30分間の走行を4本も行ないました。